私が写真を撮る理由

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最近、プロフィール撮影をしてお客様が選んだ写真を見て、なぜこの写真を選んだのか?と思う時が多い。私が良いと思っている写真とお客様が選んだ写真は違う事が多い。

間違いなくほぼ違う。

要するに、私がイメージしている像とお客様がイメージしている自分の像は違うという事だ。

 

例えば、男性より女性の方が基本的に鏡をみる時間が長いと思う。そうすると自分の表情や綺麗に写る角度等 自分の顔を良く観察するのは男性より女性が多いと思う。

だけど、写真を選ぶ時のこの差は特に男性と女性に特別な差がある訳ではない。

 

 

多くの人が実際の写真よりも実物が良いと思っている。自分が一番良いと思う姿を記憶しており、その記憶された像で比較しているからだと思う。

 

なので本当に満足する写真と出会う事はそう簡単ではない。

 

この世の中のすべてには主題がある。我々はその主題を否定することはできない。主題はすべてにある。

なので我々は世の中で起きている事に聡明で、感じる事に正直にならないと行けない。

写真に関しても本当に小さな事も良い主題になる。

 

写真家は自分の存在を見るためにその被写体を撮影すると思っている。

他人から自分自身の存在を認識する。

 

Every man over forty is responsible for his face. 

リンカーンはある人に「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持つべきだ」と言ったそうだ。

言いたかったのは、顔そのものではなくて、顔に表れる表情や雰囲気の事を言ったと思う。40代頃になればそれまでの生き方や考え方が自然と顔に表れてくるというのは正直納得できる。

このように人間の顔にはその人の人生が見えてくる。

 

 

「顔より良いLandscapeはない。

もし写真家が一人の人物を真性に写す機会があるのであれば、その写真の主題は人物に近い物でなければ行けない。

写真家はその人物が囲んでいる雰囲気を尊敬し、その個人の人生を人物写真に反映しなければならない。

 

なにより、人物写真のモデルがカメラとそれを動かしている写真家の存在を忘れるようにしなければいけない。写真の顔に現るその表情より瞬間的な事はないだろう。

 

決定的な瞬間は心理状態は一番重要な要素である。

写真家か追求するのはそのモデルに対する正確な心理学的研究である。」

 

私が好きな韓国の写真作家 KIM BO Aさんの文書である。

 

 

とにかく、その人を見てその人が知りたい。

それが私が写真を撮る理由である。